良い建築は創造性を育てる
阿蘇で気づいた身体と空間の関係
先日、「建物のない場所で、街を見つめ直す」というブログを書きました。
阿蘇の草原を歩きながら、
建物のない風景だからこそ見えてくる街や建築について感じたことを書いたのですが、
そのあとも一つの出来事が心に残っていました。
それは、山で見た景色ではありません。
自分の身体に起きていたことです。
自然の中で、時間が消えた
阿蘇では約四時間、山を歩きました。
ところが、その間、私は何度も同行した友人に
「今、何時ですか。」と尋ねていました。
時計を見なかったのではありません。
本当に時間の感覚がなくなっていたのです。
後から調べると、このような状態は「フロー状態」と呼ばれていることを知りました。
目の前のことに深く集中し、自分と周りの世界が一つになったように感じる状態です。
けれど、私が驚いたのは、その名前ではありません。
山を下りたあとも、その感覚が続いていたことです。
疲れているはずなのに、仕事に向かうエネルギーが自然と湧いてくる。
図面を描き始めると、間取りや空間が無理なくまとまっていく。
そのとき、こんな問いが生まれました。
自然は、なぜ創造する身体を思い出させてくれるのだろう。
建築は、人の身体を育てる場所
建築士という仕事は、図面を描く仕事だと思われることがあります。
もちろん、それも大切な仕事です。
でも、本当に設計しているのは、建物だけではないように思っています。
私は家づくりとは、その場所で暮らす人の身体を設計することでもあると考えています。
朝、窓から光が入る。
風が気持ちよく抜ける。
庭の緑を眺めながらコーヒーを飲む。
季節の変化に気づく。
そんな何気ない毎日の積み重ねが、人の感覚を育て、心を整え、新しい発想や暮らしの豊かさにつながっていくのではないでしょうか。
家は、雨や風をしのぐためだけの器ではありません。
人が自分らしく生きるための環境です。
良い建築が育てるもの
今回、阿蘇で歩きながら感じたことがあります。
自然の中では、身体が少しずつ解き放たれていきます。
時間を忘れ、風を感じ、光を受け止める。
そうすると、不思議なくらい創造する力が戻ってきます。
私は詩も書いています。
建築も考えています。
どちらも始まりは同じでした。
身体が世界を感じたとき、言葉も、形も生まれてくる。
だから私は、建築にも同じ力があると信じています。
毎日の暮らしの中で、
ほっと一息つける場所。
家族と自然に会話が生まれる場所。
季節の移ろいを感じられる場所。
そんな空間が、人の創造性や暮らしの豊かさを育てていくのではないでしょうか。
私は、そんな建築をつくりたいと思っています。
おわりに
家づくりでは、間取りや性能、デザインについて考えることがたくさんあります。
もちろん、それらはとても大切です。
でも、その先にあるものも忘れたくありません。
その家で暮らす人が、どんな毎日を送り、どんな気持ちで朝を迎えるのか。
その積み重ねが、その人らしい暮らしをつくり、その人らしい人生を育てていく。
私は、建築とはそんな力を持ったものだと考えています。
阿蘇の山を歩いた時間は、そのことをあらためて教えてくれました。
良い建築は、人を守るだけではありません。
その人が本来持っている感性や創造性を、静かに育ててくれる場所でもあるのです。