建物のない場所で、街を見つめ直す
建物のない世界へ
建築士という仕事をしていると、毎日、建物や街のことを考えています。
これから生まれる建築のこと。
そこに暮らす人のこと。
その場所にどんな風景が育っていくのか。
そんなことを考え続けているからでしょうか。
本当の休日になると、向かうのは建物がほとんどない場所です。
今回訪れたのは、大学時代を過ごした熊本県・阿蘇。
台風が通り過ぎ、大雨のあとに訪れた晴れの日でした。
草千里から杵島岳、そして往生岳へ。
山焼きのあとに芽吹いた新しい緑。
雨をたっぷり受けた草千里の大きな水たまり。
風が草原を渡り、雲が流れ、光が地面や水面の表情を次々と変えていきます。
四時間ほど歩いたはずなのに、時間は驚くほど短く感じました。
山を登ったというより、大きな風景の一部になっていたような時間でした。
身体が自然を思い出す
山を歩いていると、自然と感覚が研ぎ澄まされていきます。
草の色。
草のかたち。
岩の表情。
地面の起伏。
風の強さ。
風の向き。
雲の位置。
光の変化。
街では見過ごしてしまう小さな変化を、身体が一つひとつ受け取っていきます。
息が上がると、頭の中のおしゃべりも静かになります。
考えることよりも、息をすること。
一歩を踏み出すこと。
ただ歩くこと。
「ああ、自分はこの場所で生きている。」
そんな当たり前のことを、身体が思い出していく時間でした。
街へ戻って見えてくるもの
街にはたくさんの建物があります。
建物は雨や風から私たちを守り、安心して暮らせる環境をつくってくれています。
建築士として、その価値を誰よりも感じています。
一方で、自然の変化や、生きている実感を少しずつ忘れてしまうこともあるのではないでしょうか。
今回は台風の中を広島から移動しました。
雨は避けるもの。
そんな感覚で日常を過ごしています。
けれど阿蘇では、雨もまた風景の一部でした。
大雨が残した水たまりが空を映し、新しい景色をつくっていました。
雨に当たることさえ、自然の中では気持ちよく感じます。
避けることが前提ではない世界だからです。
建物のない世界を歩いたあとに街へ戻ると、いつもの景色が少し違って見えてきます。
人と行動すると景色が変わる
最近は、旅の予定を細かく立てなくなりました。
思いもよらない人の決断を受け入れた方が、面白い景色に出会えることを知ったからです。
信頼している旅友と歩くときは、その日の流れに身を任せます。
どこへ向かうのか。
どんな景色に出会うのか。
その時は分かりません。
それでも、不安はありません。
もし違うと思えば、一人で歩き出せばいい。
どこへでも行ける。
そんな安心感があります。
そして、信頼できる人と歩いた先には、自分一人では出会えなかった景色が、いつも待っていました。
この感覚は、設計の仕事にもよく似ています。
信頼できるクライアントと対話を重ねながら設計を進めていくと、一人では思いつかなかった答えが少しずつ見えてきます。
建築は、建物を描く仕事ではありません。
人と一緒に、未来の風景を見つけていく仕事なのだと思っています。
建物のない世界が教えてくれること
私は、これからも山や海へ向かうと思います。
建物から離れたいからではありません。
建物のある街を、もっと好きでいたいからです。
皆さんも、ときには建物のない世界を歩いてみてください。
そこで感じることは、一人ひとり違うでしょう。
その小さな気づきが暮らしを変え、街を変え、未来の風景を育てていく。
そんなことを思いながら、私はまた街へ戻ってきました。