金沢のまちを読む|詩の研修旅行で出会った「金沢診断」
先日、真美文藝の研修旅行で金沢を訪れました。
詩を学ぶ仲間たちとの旅でしたが、
建築を学び、設計に関わる者として、
今回どうしても訪れてみたかった場所がありました。
谷口吉郎・谷口吉生記念 金沢建築館です。
建築そのものを見ることを楽しみにしていましたが、
実際に印象に残ったのは、建築の向こうに広がる金沢のまちの気配でした。
静かな空間に身を置くと、視線の先には緑、その向こうにまちの広がりがあります。
建築が閉じた箱としてあるのではなく、まちへ静かに開いている。そんな心地よさを感じました。
展示のなかで知った「金沢診断」ということば も印象的でした。
その土地の歴史や風景、暮らし、水や緑のあり方まで読み取りながら、
その場所にふさわしい建築や景観を考えていく視点のことだそうです。
建物だけを単体で考えるのではなく、まち全体との関係のなかで建築を考える。
設計に関わる者として深く共感すると同時に、詩をつくる者としても、とても惹かれる考え方でした。
ことばも建築も、その場所に流れている時間や空気を受け取るところから始まるのかもしれません。
その言葉を知ってから金沢を歩くと、まちの見え方が少し変わりました。
たとえば、まちのなかを静かに流れる用水。
観光のためにつくられた風景ではなく、暮らしのすぐそばに水がある。
道の横を水が流れ、小さな橋がかかり、その向こうに日常の家並みがつづいていく。
水が景観としてあるのではなく、生活の一部として自然に息づいていることに、このまちらしさを感じました。
そして、犀川沿いの古い桜並木。
花の季節の華やかさだけではなく、ごつごつとした幹の表情に長い時間が刻まれ
このまちが重ねてきた記憶のように感じられました。
さらに印象的だったのは、朝の兼六園です。
朝は無料開放されていて、地元の方が静かに散歩をされていました。
日本を代表する庭園でありながら、観光のためだけの特別な場所ではなく、
人の日常のなかに自然にある風景として息づいている。
守られているだけではなく、ちゃんと暮らしのなかで生きている景色なのだと思いました。
詩の研修旅行として訪れた金沢でしたが、
私はことばの視点とかたちの視点のあいだを行き来しながら、
このまちを歩いていたように思います。
ちょうど詩集 『まちをまくらに』 をつくり終えたばかりだったこともあるのかもしれません。
まちには、ことばになる前の空気があります。
水の流れ。
木々が抱える時間。
人の歩く速度。
静かに交わされる日常。
そうしたものを感じながら歩くことは、
詩を書くことにも、建築を考えることにも、どこか通じているように思います。
詩集『まちをまくらに』
この旅の少し前に、詩集 『まちをまくら』 をつくりました。
建築を学び、旅をし、まちを歩くなかで出会った、
「ことば」と「かたち」のあいだにある風景をまとめた一冊です。
まちは、ただ通り過ぎる背景ではなく、
寄りかかり、休み、ときに自分を映してくれる存在なのかもしれません。
金沢で感じたように、建築を見るようにまちを見て、まちを読むように暮らしを見つめる。
そんな時間を、この詩集とともに感じていただけたら嬉しいです。