まちの風色 ナザレ
この夏、姪っ子がスペイン・ポルトガルを旅するというので、
ぜひポルトガルのナザレという町を訪れてほしいと伝えました。
もし着いたら、夕暮れにスマホでつないでほしい、と。
ナザレは、私が設計の仕事を続けるか迷っていた頃、
五か月間ヨーロッパを放浪していた旅の途中で出会った町です。
きっかけは、アルコバサ修道院の階段でした。
本で見て惹かれたその階段を、この目で見てみたい。
そんな思いだけでナザレに泊まり、アルコバサへ向かいました。
階段の造形や、そこに生まれる空間を見るために旅をすることは、今でもよくあります。
建築家カルロ・スカルパが設計した墓地の、
たった四段の階段を見るためだけに足を運んだこともありました。
ナザレの駅に着くと、一人のおばさんが声をかけてきました。
「宿は決まってる?」
その人がマリアでした。とまるひと探している家主さんでした。
宿泊したのは子どもが巣立ったあとの部屋、ごく普通の家庭。
三日間、その家で暮らすように過ごしました。
ユースホステルで使っていたシーツを洗い、
キッチンで地元の食材を使って簡単な料理をつくる。
旅というより、そこに暮らしているような時間でした。
ナザレは漁師町です。
夏でも風が涼しく、その風が大きな波を生み、今では世界的なサーフィンの町としても知られています。
私の記憶に残っているのは、観光名所よりも、
路地に干された洗濯物。
海岸に並ぶ小屋。
丘へ上がるケーブルカー。
町を見下ろす丘。
市場。
泊まった家の少し不思議な間取り。
そんな暮らしの風景でした。
旅の間、私は建築ばかりを撮っていました。
ところがナザレでは、海の写真を撮っていました。
夕日が海へ沈む、その時間です。
その写真に添える文章を書きました。
ナザレの夕日
おばさんたちの笑顔に
あたたかさに誘われよった街
まちをおおう海は
彼女たちのすべてをおおう
ふらっと出かけた近くの砂浜
もうだれもいない
こんなにきれいな夕日なのに
そこにうつし出された光景は
やっとたどりついた岸辺なのに
残せるものはなにもない
美しい夕日だったことは覚えています。
でも、その美しさを表現しようとはしていませんでした。
それが、今思えば私らしかったのだと思います。
三十年後。
姪っ子がナザレに着いた夕方、スマートフォン越しに同じ夕日を見せてもらいました。
その景色を見ながら、私は「あの頃、何を見ていたのだろう」と思い返していました。
そのあと姪っ子がInstagramに書いた言葉が、とても印象に残っています。
「さびしいでもなく、なつかしいでもなく、なんだか愛しい。ナザレというまち。」
うまいことを言うな、と素直に思いました。
当時の私には、まだそんな言葉はありませんでした。
ナザレには、何もないようで、何でもある。
人も、建物も、自然も、産業も。
どれも特別ではないけれど、そこにちゃんとある。
急ぐことなく、ゆっくりと時間を重ねている町でした。
「ていねいな暮らし」という言葉とも少し違います。
まちが人に添っているのでしょうか。
人がまちに添っているのでしょうか。
波と風にすべてをまかせた生きかたのよう。
太陽と魚があれば生きていける。
歩ける。
話せる。
食べられる。
そんな当たり前の営みが、静かに浮かび上がってくる町なのです。
まちと付き合う、ということを考えたことはありますか。
ナザレには、町全体を見下ろせる丘があります。
海へ出れば、帰る場所としてその丘が見える。
自分たちの暮らしの輪郭を、いつも感じられる町です。
輪郭があるから、その町に意志が生まれる。
行政の区分ではなく、人が暮らしの中で感じる「ここが私たちの町」という感覚。
私はそれが、とても大切なのだと思います。
宿もネットで探す時代になりました。
でも、姪っ子には少し違う旅をしてほしかった。
町の人と出会い、その町の暮らしの中へ入っていく旅を。
まだ、それができる町だと思えたからです。
三十年で何が変わり、何が残ったのだろう。
私が感じたナザレ。
姪っ子が感じたナザレ。
時代は違っても、二人とも同じものを読んでいたような気がしています。
町に埋め込まれた、一篇の詩を。
私は、その詩を「まちの風色」と呼んでいます。