建築として見ているつもりでした。見ていたのは、まちでした。
大学生のころ、建築雑誌で見て心を奪われた建築がありました。
シドニー・オペラハウスです。
海に浮かぶ帆のようであり、
空に浮かぶ雲のようであり、
水面に咲く花のようにも見えました。
当時は、その「かたち」の美しさに惹かれていたのだと思っていました。
大学の建築学科の卒業設計では、広島の港を設計しました。
国際船で広島に訪れる人。
ヨットで国内を旅する人。
近い島から買い物にやってくる人。
さまざまな人が交わる拠点として
マーケット、ホテル、イベント会場を持つ複合施設を、現在の観音マリーナ周辺で計画しました。
瀬戸内海からも、広島のまちからもランドマークとなり、陸と海をつなぐ場所。
そこから宮島へも、平和公園へもアクセスできるような港の建築です。
その設計を進めるなかで、海辺の建築としてシドニー・オペラハウスを細かく見るようになりました。
フォルムの美しさだけではなく、それを成り立たせている理由があることに気づいていきました。
白い帆のようなシェルが
無数のタイルでできていること。
シェル以外はガラスで納められ
象徴的なかたちが明快に見えるようにしていること。
階段状の基台部分にホールが埋め込まれ
その上にシェルが立ち上がっていること。
さらに、
観客がホールへ向かう導線。
演奏者や出演者の導線。
海辺という限られた場所の中で、それらが立体的に整理されていること。
建築としてとても優れたデザインでありながら
それだけではない何かが私をひきつけていると思っていました。
そして30代になって、実際にその場所を訪れました。
そこで感じたのは、建物の中の体験だけではありませんでした。
まちからオペラハウスへ向かって歩くアプローチ。
人々が憩い、語らうカフェ。
海との境界に沿うように置かれたベンチ。
ただ建物へ向かうだけではなく、そこへ向かう時間そのものがデザインされていました。
階段状の大きな基台を上がると、対岸のまちと大きな橋が見えます。
ビル群のあいだに切り取られた空がありました。
ホールへ向かっているはずなのに、そこにはすでに“まち”がありました。
オペラハウスは、ホールのチケットを持つ人だけの建築ではありません。
海辺を歩くことができる。
ベンチに座れる。
カフェで過ごせる。
建物の外でも。
中でも。
まちからでも。
いろんな距離から、いろんな角度から体験することができる建築でした。
建物そのものが、人を楽しませ、滞在させる力を持っていました。
かたちを強く主張する建築なのに、周囲を断たない。
海を消さず、
空を消さず、
橋を消さず、
まちを閉じない。
自分を持ちながら、他と共にある建築でした。
わたしは、まちを歩きながら建築に触れてきました。
かたちに触れ、空間を知り、
それを伝えるために言葉をおぼえました。
まちや建築のことを伝えたいと、文を書くようになりました。
今回、『まちをまくらに』という詩集を書きました。
ことばとかたちに満ちた
まちの空間に宿る詩を読んでいくなかで
やっと気づいたことがあります。
自分が惹かれてきた“まちの要素”が、
オペラハウスの建築のなかに、
すでにちりばめられていたこと。
ベンチ。
道。
広場。
階段。
水辺。
空。
人の気配。
わたしが惹かれていた理由のすべてが、そこにありました。
やっと、腑に落ちました。
建築を見ていたつもりでした。
けれど、わたしが見ていたのは、
建築によって立ち上がる“まち”だったのです。
ひとつの出会いが、その後の自分の視点をつくることがあります。
わたしにとって、それがシドニー・オペラハウスでした。
そんな原点を思い出させてくれた詩集『まちをまくらに』を、本日発売します。
この詩集を手にしてくださった方が、
自分のまちに添う視点を見つけていただけたらうれしいです。
かたちでも。
ことばでも。
できごとでも。
すべては、まちのなかにあります。
そして、すべてはとらえなおし、つくることができます。
まちを歩く。
水辺を歩く。
階段を上がる。
ベンチで座る。
カフェで過ごす。
どんな瞬間も、まちはあなたに添っています。
