ねむる場所

裏山にお墓がある家
集落の山にお墓がある村
どれも自分たちが生活をして時間を過ごした場所の近くで眠っている故人
隣人がなくなり近所の墓地に歩いて参った時
なんて自然なつくりなのだろうと感じました
できればこんばん月を見上げるときの背景となる山々が見えるところでねむりたい
photo:ハルシュタットの墓地
2020/10/01
吹き抜け空間

この写真は被爆建物で
1967年からベーカリーレストランとして使われていました
被爆壁を外壁をはめ込む形で今回新店舗がオープンしましたが
いままでの賑わいや・空間の広がりを感じさせるしかけはありませんでした
アンデルセンに行くのはパンを食べにより
あの場所であのパンをだったような
広島に来る友達にお勧めしていたのになー
建て替え前は吹き抜けまわりにレストランの席があり
またその前の建物の記憶にも暗いけど吹き抜け空間があったような
ひろしまの想いで空間はひとつなくなり寂しいな
これからの人の想いで空間となればよいとおもいますが
2020/09/29
無人島

ロビンソンクルーソーを再読はじめて
無人島・神への信仰という言葉で
現在無人島である野崎島
さらにそこに建つ旧野首教会を思い出しました
信者が生活の中で捻出したお金で建てられた教会
公共の建築のありかたですよね
2020/09/02
父のスケッチブック

何年か前に母から渡された父の仕事のノート
高度成長期の後半の広告業界の忙しさを垣間見ることができます
その中の1ページに記されていた
MY HOME PLAN
我が家はほぼそのまま出来上がっています
いろんな建築雑誌を読んで素人なりに考えたようで
とにかく空間が広くつながり
どこにもないONLY ONEの計画
その計画をお手伝いする仕事についたのだと改めて
父が考えていたことを書いたskechbookを見返しました
2020/08/06
ベルリン

最初にベルリンを訪れたのは1990年07月26日
西ベルリンでは壁をお土産で売られ
東ドイツ側は白黒の世界
明らかに西と東が違ったのを覚えています
振り返って調べてみると
1989年11月9日に壁が崩壊されて
1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまでの間ということでした
はだで感じる歴史的できごとだったと
再度ベルリンを訪れる度におもいだします
photo:ブランデンブルグ門(2016)
2020/08/02
地図・お金を持たない旅

ヘルシンキから日帰りで
エストニア・タリンに1998年に行ってみました
全くの予習なし・知識なし・地図なし・現地通貨なし
船を降りてから人の流れについて歩いていってみると
歴史地区の真ん中の広場まで行けました
そこにあった銀行でお金を両替して散策開始
この日帰り旅のどきどきは忘れられない
2020/07/08
階段

掘り込み車庫がある団地にある実家
敷地に上がる外部の階段は
家族の思い出の場所
昭和56年から
お正月に家族があつまる度
ここで写真を撮ってきた
一段一段増えていき
一段一段減ってくる
2020/06/29
ガイドツアー

1998年の旅で日本を飛びたって
コペンハーゲンについてその日に
ツーリストインフォメーションで募集している
無料のガイドツアーに参加した
街を散策しながら説明を聞いて
途中でカフェでお茶してというもの
ガイドさんがいること
一緒に歩く人がいることが
いろんな視点を与えてくれることが時にあるものだと実感
このツアーで歩くことを楽しんでいるかと聞いてくれる
ノルウェー人のラガハイドにであいました
2020/06/28
学区

小学校の頃は学区内で遊びなさいと拘束があった
大人になるにつれて行動の範囲が広がっていった
小学校の頃見ていたドラマ『池中玄太80キロ』に
玄太がタンチョウの写真を撮るのに出かけていた釧路湿原が出てきていた
でかけることもない遠い世界のことだと思っていた
姉夫婦が釧路に住むことによりまさか何度も訪れるとは/p>
行動の制限がかけられる現在
行動の自由の広がりを懐かしく思い返す
2020/06/20
アンブレラ

クリストの日本で行われたプロジェクト
アンブレラ
アメリカと日本で同時に設置された
日本の空間と欧米の空間のつかいかた違いに気づいて
このプロジェクトに
外でお茶をたてるときに使う赤の野点傘を思い出すが
アンブレラという包まれた場所の象徴が
いまやソーシャルディスタンスをとる道具に
素敵な作品だと私は思います
2020/06/18